幸村の兄・真田信幸が戦国バサラシリーズに登場してくれないもんかな、という願望の呟き。あとは戦国時代考。小説更新報告も。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
上田市が幸村を
「かっこいい殿様」
と評するのはいい。
かっこいいかどうかは相対的な判断じゃないけど、
幸村がかっこいいのは問題ない。
それより問題は、幸村を「殿様」と呼んでいることだ。
残念ながら「殿様」と呼ばれるためには城の主に
ならなければならない。
幸村は、兄が分家の主になって殿様になっていた頃は
上杉景勝や豊臣秀吉の所に人質に行ってたので、
残念ながら城持ちにはなってない。その後、関が原では
父に従って戦ったからここでも城持ちではない。
更にその後、九度山で蟄居してたが、この頃もやはり
父が健在なので城持ちではない。
ではいつ殿様になったのか。
可能性としては、父が九度山で亡くなった後だろうか。
父と弟が蟄居した後、本家は兄が継いだから弟が
殿と呼ばれるためには分家しなければならないのだが、
蟄居していて分家は無理だろう。だいたい九度山の
住居は城じゃなく館だ。
でもここで妄想をたくましくしてみると、幸村は九度山で
十勇士達と時勢をうかがいながら暮らしていた。
もちろん、もう一度世の中に打って出るためだ。
そして父が死んだとなると、その後十勇士達は幸村を
「殿様」と呼んでいたのではあるまいか。
「殿様」の前に「俺達の」って入りそうだけど…。
(つまり詐称か…)
「かっこいい殿様」
と評するのはいい。
かっこいいかどうかは相対的な判断じゃないけど、
幸村がかっこいいのは問題ない。
それより問題は、幸村を「殿様」と呼んでいることだ。
残念ながら「殿様」と呼ばれるためには城の主に
ならなければならない。
幸村は、兄が分家の主になって殿様になっていた頃は
上杉景勝や豊臣秀吉の所に人質に行ってたので、
残念ながら城持ちにはなってない。その後、関が原では
父に従って戦ったからここでも城持ちではない。
更にその後、九度山で蟄居してたが、この頃もやはり
父が健在なので城持ちではない。
ではいつ殿様になったのか。
可能性としては、父が九度山で亡くなった後だろうか。
父と弟が蟄居した後、本家は兄が継いだから弟が
殿と呼ばれるためには分家しなければならないのだが、
蟄居していて分家は無理だろう。だいたい九度山の
住居は城じゃなく館だ。
でもここで妄想をたくましくしてみると、幸村は九度山で
十勇士達と時勢をうかがいながら暮らしていた。
もちろん、もう一度世の中に打って出るためだ。
そして父が死んだとなると、その後十勇士達は幸村を
「殿様」と呼んでいたのではあるまいか。
「殿様」の前に「俺達の」って入りそうだけど…。
(つまり詐称か…)
PR
この記事にコメントする