脳内戦国武将時代 戦国時代って 忍者ブログ
幸村の兄・真田信幸が戦国バサラシリーズに登場してくれないもんかな、という願望の呟き。あとは戦国時代考。小説更新報告も。
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ふんどしは漢字で「褌」と書くように、戦のような死ぬか生きるかの時以外は付けていなかったらしい。
それというのも今では想像もしにくいが、昔は女武者に負けると股間を斬り取られていたかららしい。
単にむしゃくしゃしてたか腹いせか、女たるもの実用性のないモノをわざわざ斬るとも思えないので、本気で動機が判らない。
ともかく男共は斬られちゃならないと褌、別名下帯で死守していたようだ。
褌をしめる=死地に行くニュアンスは、今でも「気合いを入れる」みたいな意味合いで通ってるから理解出来る。
ちなみに褌、普段は腰でヒラヒラさせてその下にブラブラさせていた(失礼)らしい。
女性が和服の時は下着を付けないのと一緒で、男だって普段は蒸れるから風通し良くしてたんだ、と言われれば確かに納得出来る。

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男前という言葉は戦国時代に出来たらしい。
男前傷が略されたもので、傷があって厳しい顔付きのことを指したようだ。
戦場ではそういった顔の方が好まれるのは解る。
怖い顔が武器持って雄叫び上げながら迫って来たら、それだけで十分怖い。
今ではモテる優男も、戦場では顔見ただけでさぞかしバカにされたことだろう。
そういう顔は人形首と呼ばれたそうだ。

そして私。
男前が大好きだが、確かにゴツい強面を想像していたから、意味の取り方は間違ってなさそうだ。
しかし、男前には向こう傷だけじゃなく、渋味や苦味も絶対加味されるべきだと思う!(力説)

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戦国時代は実力主義だったらしく、家督を継ぐのは
長男じゃなくてもOKだったらしい。
でもあんまりぽんぽん産れると他家に養子に出したり
家臣に養子に出したり人質に出したり仏門に入れたりしたそうな。
多ければ多いほど良かったみたい。
しかも実力主義なので女でも城主とか珍しくなかったようだ。

「謙信は女」説では、この「当たり前の事実」に沿って
話が進められるようで、そしたら女城主という肩書きも
なかなかカッコ良いと思う。
力が全てだったからといって、変に女が虐げられてないのは
良いよねー

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戦国時代どころか明治時代まで、文字は音が重要なので
あって字は当て字で構わなかったらしい。
だから政宗を「魔沙夢音」と書いてもオッケーだった…と。

…日本史のテスト、少しは点数良くなっただろう(笑

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戦国時代はご時勢が悪かったこともあるが、割と宗教は何を選んでも良かったようだ。
一番の勢力は本願寺顕如に代表される仏教だけど、最近海外から入ってきたキリスト教も「最近のはやり」ということでもてはやされたようだ。
なんだか以前も書いたけど、キリスト教は一夫一婦制が受け入れられてたもよう。
そうじゃなくて、もっと根本的に宗教というのは、流行に左右される気軽な対象だったようだ。もちろん熱心な人も一つにこだわる人も居ただろう。けれど大多数にとっては、換えの利く服みたいなものだったようだ。
そして当時、知識人の間では「仏教はもう古い」という認識だったらしい。

ファッションのブームみたいなものだろうか。
今年はフリルが流行、みたいな。

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プロフィール
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沙原
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女性
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OL
趣味:
時代小説・旅行
自己紹介:
戦国時代をこよなく愛する仮面OLの日々。最近ハヤリの隠れ腐女子…と名乗っていたらもっと最近はレキジョという呼称がついた。でも無骨好きなので世間一般のレキジョとは違うと思う。
特に真田・伊達・大谷・黒田家あたりに大フィーバー。
趣味の旅行は最近、城と遺跡巡りまっしぐらになりつつある。
戦国バサラシリーズに真田信幸が出て来てくれる夢ばかり見ている。
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