幸村の兄・真田信幸が戦国バサラシリーズに登場してくれないもんかな、という願望の呟き。あとは戦国時代考。小説更新報告も。
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日本の城100選、今回は栃木の足利氏館に行ってきた。
寺の中にあるのだが、山門が美しくてよかった。
残念ながら室町幕府にも足利学校にも興味がないので
足利エリアは早々に引き上げ、その後は佐野ラーメンを
食べに行き、ついでに佐野のアウトレットにも行った。
そこで運命の出会いがあった。
腕時計が欲しくて時計屋に入ったのだが、そこで
接客してくれた男性店員が
源二郎ソックリ
なのだ。つまり、
テレビ「真田太平記」の源二郎役、草刈正雄にも似てるし、
今の大河「天地人」の源二郎役、城田優にも似てる。
あの、少し垂れ目の甘いマスクがまさにソックリなのだ。
最初は、源二郎らしく(笑)一生懸命説明してくれてるのが
うわのそらだったのだが、源二郎似だと気付いてからは
違った意味でうわのそらになり、顔ばかり見てしまった。
うっわやべぇチョーときめいた!!!
ということで、買ってきた腕時計は
源二郎モデル
と命名した。源二郎だと思って末永く使って行きたい(笑
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今回の岩屋館は、めでたく前回と違うお部屋に案内してもらえた。
前回が筧十蔵の間、今回が海野六郎の間だった。
間取りは一緒だったんだけども。
夕食は個室で内風呂は貸し切り状態だったので、もしかしたら物凄く今日の客は少なかったのかも。
混浴の露天風呂にも誰も入って来なかったし(笑)
ちなみにお部屋では、持参した「真田太平記」のDVDを見た。宿には太平記のポスターも貼ってあるからなかなかの贅沢だ。
さてチェックアウト後、いよいよ佐助が修行したと言われる「猿飛岩」を見に行くことにした。
宿より更に山奥へ。
車で行ける所まで行って、後は歩いて山へ分け入った。
そこで「幸村と佐助出会いの地」の看板発見。
ホントだって!ホントにこんな訳解んない山奥で出会ったって主張してるんだって!
佐助は修行のためかもしれないけど、幸村は何しに来たんだ。
その後、100段以上の石段を休み休み登って道無き道を進んで「佐助が修行したと言われる岩」発見。
現代でも道ないんですけど…。
野生のリスとか見かけて、ホント大自然満喫した。
ヲタクもここまでくれば立派だろう。
さて脚をガクガクさせながら帰ってきた後は、車で真田町の地場産センターへ。
家族には野菜を、友達には六文銭の入った味噌と甘納豆を買った。
本当は「真田大介豆腐」も欲しかったけど諦めた。
天気良すぎて車に置いておいたら傷めてしまう。
店で買ったおやきを食べながら、一路山越えルートで松代へ向かった。
途中でまたおやき販売店を見つけて購入。
7年に一度の御開帳をしてる善光寺が込みあってるようだが、店のおばちゃんに「まさか善光寺行くんじゃないよね」と言われ、首をかしげた。
どうして「まさか」なんだ、確かに行く気ないけど(ちなみに御開帳は7年前に行った)
さて険しい山を越えて松代を抜けると、あまり混んでなさそうな善光寺周辺を抜けて戸隠に向かった。
戸隠神社に行くためだ。
ちなみにここは有名な神社で、天照大神が隠れた天の岩戸が飛んで来たとされる場所。
天の岩戸は宮崎だから、投げたにしてもえらい飛距離だ。
またしても山越えし、ようやく2時過ぎに到着。
こちらも7年に一度の大祭をしていたが、休憩してそばソフトを食べたり忍者資料館に行ってたりしたら見損ねた。
その忍者資料館なのだが、このあたりは「戸隠忍者」が居たらしく、今でも「戸隠流忍術」をガチで継承しているらしい。
マジすごいんですけど!
資料館に沢山あった写真を見たら「忍術八段」の字を見つけてビックリ。
レベル高そうだ(笑)
再び外に出て、手裏剣的当てゲームをプレイ。私には忍者の素質がないことが良く判ったが、店のおじちゃんがサービスでもう一枚手裏剣くれたので、粗品をもらうことが出来た。
やた~(o^o^o)
からくり屋敷ではガチに迷い、なかなか出られず疲れてしまった。
これ、芸能人にタイムアタックさせたら面白いのに(笑)
そんなこんなで忍者屋敷を満喫してたら当然大祭も終わり、参拝だけして帰って来た。
ちなみに戸隠は五社の総称でメインは奥社らしいが、参道から山道を片道40分と言われて諦めた。
朝山登りしてきたので無理っす。そして御神体は、戸だから勝手に巨大な一枚岩を想像してたら、奥社付近の山一帯とのこと。
スケールのデカさに改めて感動した。
ということで上田城にも海津城にも寄らなかったが楽しい旅だった。
とりあえず移動距離がクレイジーだけど。
前回が筧十蔵の間、今回が海野六郎の間だった。
間取りは一緒だったんだけども。
夕食は個室で内風呂は貸し切り状態だったので、もしかしたら物凄く今日の客は少なかったのかも。
混浴の露天風呂にも誰も入って来なかったし(笑)
ちなみにお部屋では、持参した「真田太平記」のDVDを見た。宿には太平記のポスターも貼ってあるからなかなかの贅沢だ。
さてチェックアウト後、いよいよ佐助が修行したと言われる「猿飛岩」を見に行くことにした。
宿より更に山奥へ。
車で行ける所まで行って、後は歩いて山へ分け入った。
そこで「幸村と佐助出会いの地」の看板発見。
ホントだって!ホントにこんな訳解んない山奥で出会ったって主張してるんだって!
佐助は修行のためかもしれないけど、幸村は何しに来たんだ。
その後、100段以上の石段を休み休み登って道無き道を進んで「佐助が修行したと言われる岩」発見。
現代でも道ないんですけど…。
野生のリスとか見かけて、ホント大自然満喫した。
ヲタクもここまでくれば立派だろう。
さて脚をガクガクさせながら帰ってきた後は、車で真田町の地場産センターへ。
家族には野菜を、友達には六文銭の入った味噌と甘納豆を買った。
本当は「真田大介豆腐」も欲しかったけど諦めた。
天気良すぎて車に置いておいたら傷めてしまう。
店で買ったおやきを食べながら、一路山越えルートで松代へ向かった。
途中でまたおやき販売店を見つけて購入。
7年に一度の御開帳をしてる善光寺が込みあってるようだが、店のおばちゃんに「まさか善光寺行くんじゃないよね」と言われ、首をかしげた。
どうして「まさか」なんだ、確かに行く気ないけど(ちなみに御開帳は7年前に行った)
さて険しい山を越えて松代を抜けると、あまり混んでなさそうな善光寺周辺を抜けて戸隠に向かった。
戸隠神社に行くためだ。
ちなみにここは有名な神社で、天照大神が隠れた天の岩戸が飛んで来たとされる場所。
天の岩戸は宮崎だから、投げたにしてもえらい飛距離だ。
またしても山越えし、ようやく2時過ぎに到着。
こちらも7年に一度の大祭をしていたが、休憩してそばソフトを食べたり忍者資料館に行ってたりしたら見損ねた。
その忍者資料館なのだが、このあたりは「戸隠忍者」が居たらしく、今でも「戸隠流忍術」をガチで継承しているらしい。
マジすごいんですけど!
資料館に沢山あった写真を見たら「忍術八段」の字を見つけてビックリ。
レベル高そうだ(笑)
再び外に出て、手裏剣的当てゲームをプレイ。私には忍者の素質がないことが良く判ったが、店のおじちゃんがサービスでもう一枚手裏剣くれたので、粗品をもらうことが出来た。
やた~(o^o^o)
からくり屋敷ではガチに迷い、なかなか出られず疲れてしまった。
これ、芸能人にタイムアタックさせたら面白いのに(笑)
そんなこんなで忍者屋敷を満喫してたら当然大祭も終わり、参拝だけして帰って来た。
ちなみに戸隠は五社の総称でメインは奥社らしいが、参道から山道を片道40分と言われて諦めた。
朝山登りしてきたので無理っす。そして御神体は、戸だから勝手に巨大な一枚岩を想像してたら、奥社付近の山一帯とのこと。
スケールのデカさに改めて感動した。
ということで上田城にも海津城にも寄らなかったが楽しい旅だった。
とりあえず移動距離がクレイジーだけど。
昨年行った上田市真田町の秘湯「岩屋館」にリベンジしてきた。
というのも昨年11月に行った時は、あいにくの雪で山に行けなかったからだ。
今回は周辺の城を見学しつつ岩屋館へ泊まるコースを考えた。
まず高速を使って松本へ。昼過ぎに着いて松本城を見学した。
ミラージュはおいといて(笑)…私、松本城って国宝だからもっと大きいのかと思ってた!
少なくとも名古屋城くらいあると思ってたのに意外と小さいし!(>_<)
お堀も小さいし!
正直ガッカリだ。
しかも松本城を建てた石川和正の説明が全然なくて、私の曖昧な記憶で連れに案内してみたり。
ちなみに石川和正は、徳川譜代だったんだけど秀吉に引き抜かれて一族総出で豊臣に転職しちゃった人。
真田ファン的には、第一次上田合戦に快勝した後、いよいよ徳川のメンツをかけて家康出陣か?という時に、この和正の離反があって真田の件は後回しになったっていうアレ。
しかしこの石川家は、せっかく秀吉に「関東家康封じ込め作戦」の要として松本築城を任されたのに、関ケ原ではあっさり東軍に返り咲き。
小説では家康と話し合いの末こっそり秀吉の元に走ったことになってたが、ハタ目には潔い態度ではないよね。
ともあれ松本城。
やたらスタイリッシュなTシャツ売ってたのが印象的でした。
あとはフツー。
で、3時前に松本を出られたので思い切って高遠城へ向かった。
再び高速に乗って約2時間。
後で確かめたら1日350キロとか移動してて、いかに無茶な動きをしていたのかよく判った。
アホだ。
さてその高遠城だが、実は二度目である。
ここは桜の名所で、以前にバスのパックツアーで来たのだ。
しかしあり得ない混雑だったので絶対桜の季節には来るまいと誓って今日。
おかげさまで広い敷地に3組くらいしか客が居なかった。
店も閉まってるし切ないんですけど!(>_<)
ちなみに真田ファン的には、太平記の一番最初に佐平次が戦ってた場所である。
帰りの車の中で上田に向かいながら「この距離を怪我人の佐平次助けて移動したお江ありえねぇ」と、連れと言い合った。
そりゃ初物の若い男も食わなきゃやってらんないですよね、佐平次言い付け守らないし!(笑)
てな感じの強行軍で、上田菅平のインター降りた時にはガス欠マークが光っており、ガススタのおじちゃんには「埼玉から高遠まで行ってきた」と言ったら盛大に笑われた。
…やはりあり得ない移動距離なんですね。
無知って怖い。
というのも昨年11月に行った時は、あいにくの雪で山に行けなかったからだ。
今回は周辺の城を見学しつつ岩屋館へ泊まるコースを考えた。
まず高速を使って松本へ。昼過ぎに着いて松本城を見学した。
ミラージュはおいといて(笑)…私、松本城って国宝だからもっと大きいのかと思ってた!
少なくとも名古屋城くらいあると思ってたのに意外と小さいし!(>_<)
お堀も小さいし!
正直ガッカリだ。
しかも松本城を建てた石川和正の説明が全然なくて、私の曖昧な記憶で連れに案内してみたり。
ちなみに石川和正は、徳川譜代だったんだけど秀吉に引き抜かれて一族総出で豊臣に転職しちゃった人。
真田ファン的には、第一次上田合戦に快勝した後、いよいよ徳川のメンツをかけて家康出陣か?という時に、この和正の離反があって真田の件は後回しになったっていうアレ。
しかしこの石川家は、せっかく秀吉に「関東家康封じ込め作戦」の要として松本築城を任されたのに、関ケ原ではあっさり東軍に返り咲き。
小説では家康と話し合いの末こっそり秀吉の元に走ったことになってたが、ハタ目には潔い態度ではないよね。
ともあれ松本城。
やたらスタイリッシュなTシャツ売ってたのが印象的でした。
あとはフツー。
で、3時前に松本を出られたので思い切って高遠城へ向かった。
再び高速に乗って約2時間。
後で確かめたら1日350キロとか移動してて、いかに無茶な動きをしていたのかよく判った。
アホだ。
さてその高遠城だが、実は二度目である。
ここは桜の名所で、以前にバスのパックツアーで来たのだ。
しかしあり得ない混雑だったので絶対桜の季節には来るまいと誓って今日。
おかげさまで広い敷地に3組くらいしか客が居なかった。
店も閉まってるし切ないんですけど!(>_<)
ちなみに真田ファン的には、太平記の一番最初に佐平次が戦ってた場所である。
帰りの車の中で上田に向かいながら「この距離を怪我人の佐平次助けて移動したお江ありえねぇ」と、連れと言い合った。
そりゃ初物の若い男も食わなきゃやってらんないですよね、佐平次言い付け守らないし!(笑)
てな感じの強行軍で、上田菅平のインター降りた時にはガス欠マークが光っており、ガススタのおじちゃんには「埼玉から高遠まで行ってきた」と言ったら盛大に笑われた。
…やはりあり得ない移動距離なんですね。
無知って怖い。