幸村の兄・真田信幸が戦国バサラシリーズに登場してくれないもんかな、という願望の呟き。あとは戦国時代考。小説更新報告も。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
戦国時代って、というか平安の昔から
筆跡というのは人格を図る重要ソースだった。
まず字を書ける、というのが無条件に上流階級の
特権なんだけども、その中でも綺麗な筆跡と
いうのは美形の条件だったらしい。
何しろ直接顔を見に行くような機会が少ない時代、
手紙の内容や筆跡で美人を判断したんだから
スゴイ。奥ゆかしい。
古典をオシャレに引用したり、いかに短時間で
ウィットの効いたカッコいい返事が出来るかで、
人としてのレベルを図っていたようだ。
難しい。
で、戦国時代もやっぱり筆跡鑑定のようなことを
していた。偽書を見抜くためにも、見知った人の
筆跡は把握していたし、筆跡から人柄をうかがうのは
当たり前だったようだ。
しかし殿様の場合、腕が立てば割とのし上がれたので、
代筆を立てて口頭を筆記させるのが普通だったらしい。
マレに元就や政宗のように超筆まめな人もいたようだが、
豪胆な戦国大名は見直しもしないで花押(サイン)だけして
送っちゃうパターンも多かったようだ。
確かに政宗は字が綺麗だ。
かるく神経質そうなイメージあるくらい綺麗。
そして真田家。
父も兄も弟も、紙の幅を無視した
勢い良い書きっぷりがステキ(笑)
筆跡というのは人格を図る重要ソースだった。
まず字を書ける、というのが無条件に上流階級の
特権なんだけども、その中でも綺麗な筆跡と
いうのは美形の条件だったらしい。
何しろ直接顔を見に行くような機会が少ない時代、
手紙の内容や筆跡で美人を判断したんだから
スゴイ。奥ゆかしい。
古典をオシャレに引用したり、いかに短時間で
ウィットの効いたカッコいい返事が出来るかで、
人としてのレベルを図っていたようだ。
難しい。
で、戦国時代もやっぱり筆跡鑑定のようなことを
していた。偽書を見抜くためにも、見知った人の
筆跡は把握していたし、筆跡から人柄をうかがうのは
当たり前だったようだ。
しかし殿様の場合、腕が立てば割とのし上がれたので、
代筆を立てて口頭を筆記させるのが普通だったらしい。
マレに元就や政宗のように超筆まめな人もいたようだが、
豪胆な戦国大名は見直しもしないで花押(サイン)だけして
送っちゃうパターンも多かったようだ。
確かに政宗は字が綺麗だ。
かるく神経質そうなイメージあるくらい綺麗。
そして真田家。
父も兄も弟も、紙の幅を無視した
勢い良い書きっぷりがステキ(笑)
PR
兄って実は冷静沈着とか言われてるけど
ケンカっ早かったらしい。もっとも戦国時代の
武将はケンカっ早くて当たり前、というか
それくらいじゃないと尊敬されなかったようだから、
当時は普通だったのかもしれないけど。
アニキだって姫若子時代は物静かで口数が
少なくて、親にも家臣に「大将の器じゃない」と
言われて苦労したらしいから、元気良くなきゃ
人権も認められないかんじ?
だから無理してたかもしれないけど。
で、現代の私。
仕事のストレスで日に日に怒りやすくなってきている。
イラっとくると「ンだとコラァ?!」とすぐ戦いたくなって
しまうのだ。ちなみに兄は、犬伏で話し合いを
した時に、熱くなって弟に掴み掛かりそうになったとか。
父はゲタを投げつけて家臣の前歯を折ってるし、
親子そろってものすごいヒート加減だ。
まさに武将ってかんじ?(^^ゞ
ケンカっ早かったらしい。もっとも戦国時代の
武将はケンカっ早くて当たり前、というか
それくらいじゃないと尊敬されなかったようだから、
当時は普通だったのかもしれないけど。
アニキだって姫若子時代は物静かで口数が
少なくて、親にも家臣に「大将の器じゃない」と
言われて苦労したらしいから、元気良くなきゃ
人権も認められないかんじ?
だから無理してたかもしれないけど。
で、現代の私。
仕事のストレスで日に日に怒りやすくなってきている。
イラっとくると「ンだとコラァ?!」とすぐ戦いたくなって
しまうのだ。ちなみに兄は、犬伏で話し合いを
した時に、熱くなって弟に掴み掛かりそうになったとか。
父はゲタを投げつけて家臣の前歯を折ってるし、
親子そろってものすごいヒート加減だ。
まさに武将ってかんじ?(^^ゞ
忠臣は二君に仕えず…などと言われて忠誠心が
美徳となっているが、戦国時代は主君を変えるのが
当たり前だったらしい。
とにかく皆のし上がりたかったので、少しでも有望そうな
主君を求めて主人を転々とした人も珍しくない、
というかそっちの方が普通だった。
小十郎みたいのはマレだったということだ。
…あれはまぁ傅役だったし。でもちょっと待遇に
不満があって出奔しようとしてたけど(笑)
で、当時の武士は
「7度主君を変えないと一人前とは見なされない」
ってくらい転職が激しかった。
命預けるんだからアホ主人じゃ困るのは解るが、
それだけ実力主義だったということだろう。
アメリカナイズ?
で、現代の自分。
そろそろ2度目の転職したいなぁと考えている(笑)
上田市が幸村を
「かっこいい殿様」
と評するのはいい。
かっこいいかどうかは相対的な判断じゃないけど、
幸村がかっこいいのは問題ない。
それより問題は、幸村を「殿様」と呼んでいることだ。
残念ながら「殿様」と呼ばれるためには城の主に
ならなければならない。
幸村は、兄が分家の主になって殿様になっていた頃は
上杉景勝や豊臣秀吉の所に人質に行ってたので、
残念ながら城持ちにはなってない。その後、関が原では
父に従って戦ったからここでも城持ちではない。
更にその後、九度山で蟄居してたが、この頃もやはり
父が健在なので城持ちではない。
ではいつ殿様になったのか。
可能性としては、父が九度山で亡くなった後だろうか。
父と弟が蟄居した後、本家は兄が継いだから弟が
殿と呼ばれるためには分家しなければならないのだが、
蟄居していて分家は無理だろう。だいたい九度山の
住居は城じゃなく館だ。
でもここで妄想をたくましくしてみると、幸村は九度山で
十勇士達と時勢をうかがいながら暮らしていた。
もちろん、もう一度世の中に打って出るためだ。
そして父が死んだとなると、その後十勇士達は幸村を
「殿様」と呼んでいたのではあるまいか。
「殿様」の前に「俺達の」って入りそうだけど…。
(つまり詐称か…)
「かっこいい殿様」
と評するのはいい。
かっこいいかどうかは相対的な判断じゃないけど、
幸村がかっこいいのは問題ない。
それより問題は、幸村を「殿様」と呼んでいることだ。
残念ながら「殿様」と呼ばれるためには城の主に
ならなければならない。
幸村は、兄が分家の主になって殿様になっていた頃は
上杉景勝や豊臣秀吉の所に人質に行ってたので、
残念ながら城持ちにはなってない。その後、関が原では
父に従って戦ったからここでも城持ちではない。
更にその後、九度山で蟄居してたが、この頃もやはり
父が健在なので城持ちではない。
ではいつ殿様になったのか。
可能性としては、父が九度山で亡くなった後だろうか。
父と弟が蟄居した後、本家は兄が継いだから弟が
殿と呼ばれるためには分家しなければならないのだが、
蟄居していて分家は無理だろう。だいたい九度山の
住居は城じゃなく館だ。
でもここで妄想をたくましくしてみると、幸村は九度山で
十勇士達と時勢をうかがいながら暮らしていた。
もちろん、もう一度世の中に打って出るためだ。
そして父が死んだとなると、その後十勇士達は幸村を
「殿様」と呼んでいたのではあるまいか。
「殿様」の前に「俺達の」って入りそうだけど…。
(つまり詐称か…)